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三菱飯塚炭鉱巻き上げ機台座
巻き上げ機台座は幅13.5m高さ12m筑豊地方でも最大級の巻き上げ機台座です。炭鉱の抗内(地下)に資材や人員を送ったり、掘り出した石炭を地上に搬出するトロッコ(炭車)を引っぱるためのロープを巻き上げる機械の台座として使用されました。戦後に造られた台座はコンクリート製が多いようで、赤レンガの台座が残っているのは珍しく、操業時はこの台座の上に動力小屋があり蒸気機関で稼動していたといわれています。飯塚炭鉱は中島徳松が1915年に開坑し、1936年に三菱鉱業との合併を経て、1961年に閉山しました。 種別: 市指定有形文化財 巻き上げ機台座(三菱炭鉱第二本卸) 築 : 大正時代末期~昭和初期
33.60619643
130.6913456
https://kankou-iizuka.jp/images/topic/mapicon.png
巻き上げ機台座/三菱飯塚炭鉱(まきあげきだいざ)
福岡県飯塚市平恒460-8
https://kankou-iizuka.jp/img/topic/14_thumbnail.jpg
食べる
ふたせ饅頭本舗大正の末期に先代の山本トミキが「秋月堂」の屋号で菓子製造・販売を営んだのが始まりです。 先代が筑前の秋月の出身という事でついた屋号も、昭和7年に二瀬町(現飯塚市二瀬地区) が発足、屋号も「二瀬饅頭本舗」と改め、炭鉱産業の隆盛と共に当店の礎を築くこととなります。 味については、創業当時と変わらずも、時代の流れによって生まれる素材のこだわりを踏まえ、 常に、「又食べたい、食べたくて仕方がないと思えるような記憶に残る味」作りに努め続けます。
寿司万(すしまん)創業60年。定食メニューが充実しており、お昼のランチでも気軽に利用できます。お寿司や定食と並ぶ人気メニューが数種類ある釜めし。丁寧に炊き上げられた出来たて熱々の釜めしが楽しめます。
買う
味覚焼(みかくやき)お店の看板にも飯塚名物と書いてある「味覚焼」は、親から子へ・・そしてまたその子へ・・と4世代に渡ってのファンもいる地元の有名店です。生地に入るのはたっぷりの天玉、朝採れのネギ、秘伝のダシ。一見たこ焼のように見えて、子どもやお年寄りが食べやすいように、タコは入れていないのだとか。この素朴な味が地元の人々を魅了し、絶え間無くお客様が買いに来られます。創業から50年、変わらぬ美味しさで飯塚のソウルフードとして親しまれています。
観る
飯塚山 太養院(いいづかさん たいよういん)曹洞宗の寺院。700年代に行基の開山と伝えられる飯塚村最古のお寺。器運山香積寺(きうんざんこうじゃくじ)と号していたが、慶長5年(1600)黒田長政公の命により今の号に改めた。寛永17年(1640)黒田忠之公が「飯ノ山」の太養院を現在地に移転しその跡に上茶屋を設けた。
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)大分八幡宮は奈良時代の神亀3年(726)に創建されたと云われます。祭神は八幡神・神功皇后・竃門山神です。平安時代の延長元年(923)には、八幡神が大分宮から博多湾岸の筥崎へ遷座するという出来事が起こりました。大分八幡宮が筥崎八幡宮の前身と云われるのはこのためです。しかし、その後も大分八幡宮は、九州五所別宮第一に位置づけられるなど、由緒正しい名社として存続しています。
NERO BOTANICA(ネロ ボタニカ)筑豊エリアのシンボルと言える“ボタ山”を彷彿とさせる黒石をあしらった半ピラミッド型、地上3階を貫く開放的な吹き抜けから心地良い風と陽射しが射し込む空間。『NERO BOTANICA』と名付けられたこの建物には、いつもより少しドレスアップして訪れたいスタイリッシュな飲食店、大切な人への贈り物選びに相応しいショップなど、この土地を愛する仕掛け人たちが突き詰めて採掘した“本当に良質なモノ・ホスピタリティ”が集結します。