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飯塚市の遠賀川河川敷中之島に架かる芳雄橋の中央から上流側に降りていくと、山上憶良の万葉歌碑があります。橋の入口には「憶良口」と記されています。
33.64186502
130.6880466
https://kankou-iizuka.jp/images/topic/mapicon.png
山上憶良 歌碑(やまのうえのおくら かひ)
福岡県飯塚市芳雄橋下
https://kankou-iizuka.jp/img/topic/179_thumbnail.jpg
観る
飯塚市歴史資料館(いいづかしれきししりょうかん)国の重要文化財に指定されている立岩遺跡の出土品をはじめ縄文、弥生、古墳時代の出土品や中国西安市から寄贈された秦始皇帝兵馬俑などが展示されています。また、伊藤伝右衛門と柳原白蓮に関する写真等の展示コーナーもあります。 国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記録遺産登録(田川市)の山本作兵衛の原画等13点を展示中 黒田二十四騎図絵馬(曩祖八幡宮所蔵)を展示中
川津古墳(かわづこふん)九州工業大学の近くにある川津古墳は5世紀前半?中葉頃の円墳で主体部は箱式石棺です。石棺の周囲は礫石が敷きつめられ、排水溝が巡り、石棺の頭位方向で合流して墳裾へ延びています。現在、古墳を含めた周辺は公園として整備されています。 平成4年(1992)飯塚市指定史跡に指定されました。
長崎街道内野宿(ながさきかいどう うちのしゅく)長崎街道「内野宿」は江戸時代そのままに道が残り、宿場の面影をとどめています。西構口(山家宿側)から東構口(飯塚宿側)まで約600メートルあり、そのほぼ中央で逆T字型に本陣(御茶屋)へ道は向かっています。本陣の脇を通って道は太宰府へと続いていました。飯塚宿へ三里七丁、山家宿へ二里二十丁。山家宿との間に難所中の難所、冷水峠があります。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)南北朝時代の延文元年(1356年)まで、筑前國と豊前國の両国の衆民によって日王山の頂に祀られていましたが、山上であるため参詣に不便なことから、神託によって本宮の三女神を筑前國鹿毛馬村(現:飯塚市鹿毛馬)に遷座し、相殿の天照大御神と神宮院淨福寺を豊前國神崎村(現:田川郡福智町神崎)に遷座し奉りました。
忠隈のボタ山(ただくまのぼたやま)炭鉱町として発展した飯塚にその時代の面影を残す数少ないものが、忠隈のボタ山です高さ121メートル敷地面積22.4ヘクタールあり現存する平地ピラミッド型ボタ山としては、日本最大級で、別名「筑豊富士」とも呼ばれ地域のシンボルとして残っています。
鎮西村(ちんぜいむら)のカツラ鎮西のカツラの木としては、国内ではじめて昭和9年(1934)国指定天然記念物に指定された樹齢約1,000年の名木であり高さは約30メートル。古木のため中心となる幹はすでに痕跡のみです。