飯塚市観光ポータル

【お知らせ】
■秋の企画展「源氏絵巻縁起」トークショー9月14日開催 6/1より事前予約受付開始 TEL 0948-22-5517

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■定期休館日は水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12月29日から1月3日)ですが、企画展やイベント等によって臨時休館・臨時開館があります。その他、大雪や大雨、台風などの場合、臨時休館する場合があります。ご来館の前にお問い合わせください。

10月の休館日
10月28日(月曜日)臨時休館
10月29日(火曜日)臨時休館
10月30日(水曜日)休館日
10月31日(木曜日)臨時休館

11月の休館日
11月6日(水曜日)休館日
11月7日(木曜日)臨時休館
11月13日(水曜日)休館日
11月20日(水曜日)休館日

12月の休館日
12月2日(月曜日)臨時休館
12月3日(火曜日)臨時休館
12月4日(水曜日)休館日
12月5日(木曜日)臨時休館
12月6日(金曜日)臨時休館
12月7日(土曜日)臨時休館
12月11日(水曜日)休館日
12月18日(水曜日)休館日
12月23日(月曜日)臨時休館
12月24日(火曜日)臨時休館
12月25日(水曜日)休館日
12月26日(木曜日)臨時休館
12月27日(金曜日)臨時休館
12月28日(土曜日)臨時休館
12月29日(日曜日)休館日
12月30日(月曜日)休館日
12月31日(火曜日)休館日

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■■■ 旧伊藤伝右衛門邸基本情報 ■■■
【住 所】飯塚市幸袋300番地
【休館日】水曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
【開館時間】9:30~17:00(入館16:30まで)
【料 金】高校生以上310円(250円)小・中学生100円(80円)
 ( )内は20名様以上の団体料金
※土曜日に限り高校生以下は無料
※身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保健福祉手帳の交付を受けている方は無料(受付で手帳をご提示ください)また、手帳をご提示された方の介護者も無料となります。
【駐 車 場】身体障がい者専用:長屋門より50m先
       普通車・大型バス駐車場:幸袋リサーチパーク(九電工隣り)
【アクセス】「JR新飯塚駅」または「飯塚バスターミナル」より西鉄バス「赤池工業団地」行きに乗り「幸袋・旧伊藤伝右衛門邸前 」にて下車してください。
【お問合せ】(一社)飯塚観光協会 TEL 0948-22-3511

■旧伊藤伝右衛門邸
2020.12.23 国の重要文化財(建造物)に指定されました。
2011.9.21 庭園が国の名勝指定を受けました。
2006.9.26 飯塚市有形文化財に指定されました。
旧伊藤伝右衛門邸は明治期に建てられ、大正期、昭和初期に増改築された近代和風建築物です。土地7,568.5平方メートル(約2,293坪)建物床面積延べ1,019平方メートル(約309坪)その粋を凝らした豪邸は広大な庭園とともに歌人柳原白蓮が日常起居した建物として飯塚市内に残る数少ない石炭遺産であり「炭鉱王伊藤伝右衛門」の功積を伝える唯一の文化遺産です。
高い塀は旧長崎街道に面しており、昭和2年に焼失した福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から移築された長屋門や、伊藤商店の事務所が目を引きます。邸宅は南棟(正面)、北棟(庭側)、両者を結ぶ角之間・中之間棟、玄関・食堂棟、繋棟の家屋5棟と土蔵3棟からなり、池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅です。
建物の見所は和洋折衷の調和のとれた美しさ。アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間、一畳たたみを敷き詰めた長い廊下等、様々な芸術的技法を取り入れた当時先進的だった建築技術や、繊細で優美な装飾を随所に見ることができます。
また、柳原燁子(白蓮)が伝右衛門の妻として約10年間を過ごしたゆかりある地であり、伝右衛門や白蓮に思いをはせる場でもあります。筑豊における石炭産業の歴史と、これに関わった伝右衛門たちの人生を物語る貴重な遺産をごゆっくりご覧ください。

■ミュージアム白蓮館
邸内右手に併設しています。
伊藤商店事務所を改築した「ミュージアム白蓮館」は、柳原白蓮が愛用した着物などの遺品や色紙など、白蓮に関する貴重な資料等を展示しています。

■ミュージアムショツプ白蓮
かつて炭鉱の町で賑わった・飯塚の観光名所、旧伊藤伝右衛門邸の敷地内にあるミュージアムショップ白蓮。恋に生きた歌人として知られる柳原白蓮に関する著作物をはじめ、飯塚の特産品や土産物の販売を行っています。炭鉱の歴史とお菓子文化に因んだ商品は、観光に訪れた際のお土産に最適です。

■山本作兵衛の原画常設展示
飯塚市歴史資料館所蔵の山本作兵衛原画26点のうちの、12点を常設展示
山本作兵衛(1892年5月17日 - 1984年12月19日)は、福岡県出身の炭鉱労働者、炭鉱記録画家。
日本で初めてユネスコから世界の記憶(世界記憶遺産)登録を受けた炭鉱画で知られる。
1892年(明治25年)、福岡県嘉麻郡笠松村鶴三緒(現・飯塚市)生まれ。7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、立岩尋常小学校を卒業後、1906年(明治39年)に山内炭坑(現・飯塚市)の炭鉱員となった。以後、採炭員や鍛冶工員として、筑豊各地で働きながら、日記や手帳に炭鉱の記録を残した。福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた60代半ばに、「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。主要作は画文集『炭鉱に生きる』(1967年)。「ヤマの絵師」として知られた。1984年(昭和59年)、老衰のため死去、92歳没。

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名称旧伊藤伝右衛門邸(きゅういとうでんえもんてい)
住所〒820-0066 福岡県飯塚市幸袋300番地
アクセス・福岡インターから約40分 ・八幡インターから約40分 ・筑後小郡インターから約60分 ・JR福北ゆたか線新飯塚駅下車後タクシー約10分 ・西鉄バス「幸袋・旧伊藤伝右衛門邸前」バス停車下車後徒歩2分
電話番号0948-22-9700
FAX0948-22-9700
HPhttps://www.kankou-iizuka.jp/denemon/
ファイルダウンロード:旧伊藤邸団体予約申込書.pdf

33.6617472

130.6862806

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0948-22-9700

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旧伊藤伝右衛門邸(きゅういとうでんえもんてい)

〒820-0066 福岡県飯塚市幸袋300番地

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柳原白蓮 歌碑(やなぎはらびゃくれん かひ)
柳原白蓮歌碑 「筑紫の女王」とも呼ばれ、飯塚に縁のある歌人柳原白蓮の歌碑が旧伊藤伝右衛門邸近くと嘉穂劇場近く、飯塚商工会議所近くの遠賀川河川敷、北九州に向かって左岸に計3基建立されています。 ■歌碑概略 ■嘉穂劇場側の歌碑概略■ 師の君の 来ますむかふと 八木山の 峠の若葉 さみどりのして 解説 早春の頃に自分の師が遠い九州の地に来て頂く折に博多駅へ出迎えに行く途中、八木山は新緑に萌え、若葉に自分の心境をだぶらせ、清清しい気分で峠を越え師との再会に心も弾んでいた気持ちを表した歌です。 ■飯塚商工会議所側の歌碑概略■ 遠賀川 小暗き中に 銀色の 光りは長く 夜は明け染めぬ 解説 遠賀川は、うす暗い中にも川面は銀色に輝き、夜が明けていく風情を詠った歌です。 ■旧伊藤伝右衛門邸側の歌碑概略■ おもひきや 月も流転の かげぞかし わがこしかたに 何をなげかむ 解説 晩年にわが身をふりかえり月の満ち欠けと自分の一生を思い合わせて「わがこしかたに何をなげかむ」と強く生きる覚悟を表した歌です。 ■『踏絵』 白蓮著 『踏繪』は柳原白蓮が最初に出した歌集で、若き白連の告白的短歌の結晶といわれ、大正4年3月に竹柏会より出版されました。「白連は藤原の女なり。」で始まる序章は佐佐木信綱、装丁は竹下夢二による物です。浪漫的であでやかな作風、夢と悩みと憂愁と沈思のこもった300余首が綴られています。 『踏絵』には、夫の愛情を感じられない暮らしから生じた悲痛なまでの孤独や、鮮烈な言葉で恋心を詠んだ火のような歌が数多く詠まれています。白蓮は、その処女歌集により歌詠みとしての名声を手にしました。 その後、戯曲『指鬘外道』を通じて宮崎龍介と運命的な出会いを果たします。事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。 『踏繪』は旧伊藤伝右衛門邸内「ミュージアムショップ白蓮」、飯塚観光ネットショップにて販売しています。 ■白蓮の生涯 絵葉書 柳原白蓮 柳原伯爵の家系で愛育された白蓮は、14歳で子爵北小路家に嫁ぐも5年後に離婚。その後27歳のとき、一代で巨万の富を築いた立志伝中の炭鉱王、伊藤伝右衛門と再婚し筑豊の地へ嫁ぎました。大正天皇の従妹にあたる白蓮を迎えた伝右衛門は、豪奢な住まいを用意し、歌集の出版を後押しし、金銭的に何不自由ない暮らしを与えました。しかし、白蓮は伝右衛門の愛情を感じることができず孤独に懊悩し、その苦しみを歌に託すことを生きがいとします。大正7年、白蓮が記した戯曲を通じて知り合った7歳年下の宮崎龍介と出会い、700通のラブレターを交わすほど熱烈な恋に落ち、大正10年に事件を起こします。  「・・・私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます。・・・」という内容の伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開して駆け落ち。姦通罪がある時代に白蓮が起こしたこの行為は、当時大きな波紋を巻き起こし白蓮事件と呼ばれました。 事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。

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