飯塚市観光ポータル

創業56年。
ミシュラン掲載のお店がおすすめする絶品の筑穂牛
幻のブランド牛とも呼ばれる地元産「筑穂牛」を、ステーキ、しゃぶしゃぶといった
シンプルな調理法で提供しています。50年以上にわたって親子3代で営まれてき
たアットホームな雰囲気のなか、リーズナブルな価格で楽しめるとあって、幅広い
層から愛されており、地元はもちろん遠方からもたくさんの食通が訪れます。

営業時間/ 11:30~22:00 ※前日までに要予約
定休日/  不定休
駐車場/ あり( 20 台/無料)10名様より送迎バスあり


ジャンル買う 食べる
名称筑穂牛と季節料理 あかね荘
住所福岡県飯塚市山口611-2(サンビレッジ茜入口)
アクセス【車】八木山バイパス筑穂ICから15分
電話番号0948-72-0903 ※前日までに要予約
FAX0948-22-9766
HPhttps://hiizuru-akane.com/

33.557660

130.620500

33.557660

130.620500

0948-72-0903 ※前日までに要予約

http://kankou-iizuka.jp/images/topic/mapicon.png

筑穂牛と季節料理 あかね荘

福岡県飯塚市山口611-2(サンビレッジ茜入口)

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鹿毛馬神籠石(かけのうま こうごういし)
鹿毛馬神籠石は、鹿毛馬川に面した馬蹄型の丘陵地に形成された神籠石で、築造年代や目的については諸説ありますが、おおよそ7世紀頃(1400〜1300年前)に造られた古代の山城というのが一般的です。 通常は、神籠石は200メートルを越える高い場所に築かれる事が多いのですが、鹿毛馬神籠石は、30〜80メートルの低い丘陵地に築かれている事が特徴的です。列石は約1,800個もの切石が使われ、全長約2キロメートルに渉って土塁の腰石が形成されており、標高の低い場所に建てられており、谷部には暗渠式(あんきょしき)の水門が2ヵ所あります。水門跡の調査で、7世紀前半の須惠器甕破片(すえきかめはへん)が出土し、築造年代に手掛かりを与えました。 鹿毛馬神籠石は、昭和20年2月に約3万4302㎡が国の指定史跡に指定され、平成14年3月に追加指定を受け、総面積35万8238㎡となっています。 ■牧野神社 牧野神社(まきのじんじゃ)は昔、「鹿毛馬神籠石」(国指定史跡)の中に鎮座されていました。明治時代中期に焼失後、御神体は厳島神社に合祀されました。 【御祭神】 狹野尊(さぬのみこと/神武天皇の幼名) 大山積命(おほやまつみのみこと) 保食命(うけもちのみこと) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) ■由来 神武天皇が、狭野命(さぬのみこと)と申されていた時、豊前國の求菩提山を経由して鹿毛馬村を訪れ、山麓の野に多くの馬が群れていたのをご覧になり馬の牧(牧柵/牧場)を開かれたといいます。 以来、五月朔日から7日までの間、馬を使うことを禁止し、その間に大祭が執り行われていたそうですが、文暦元年(1234年)に牧が廃され、以後神社も荒廃するにしたがい元龜年間(1570〜1572年)に嚴嶋神社の相殿に合祀されました。 現在も「嘉麻郡の鎮守神」として鎮座しています。 また、鹿毛馬(かけのうま)の地名は、昔 鹿毛馬神籠石の周辺にあった馬の牧より、鹿毛(馬の毛色の一種)の良馬がでていたことに由来するといいます。 〜『筑前國續風土記』 〜 小堤山、古家山とて、いにしへ馬牧ありし所あり。四方に石垣を築廻(きずきめぐら)はせり。めぐり二十町許(あまり)あり。此れ牧より鹿毛の良馬出す事ありて、村の名とせしにや。 ■神籠石各地所在地 (国指定史跡) 名称 読み 所在地 指定年月日 おつぼ山神籠石 武雄市橘町小野原 昭和41年(1966)5月21日 帯隈山神籠石 おぶくまやま 佐賀市久保泉町川久保 昭和26年(1951)6月9日 女山神籠石 ぞやま みやま市瀬高町大草 昭和28年(1953)11月14日 高良山神籠石 こうらさん 久留米市御井町高良山 昭和28年(1953)11月14日 雷山神籠石 らいざん 前原市雷山 昭和7年(1932)3月25日 御所ヶ谷神籠石 ごしょがたに 行橋市津積 昭和28年(1953)11月14日 杷木神籠石 はき 朝倉市林田 昭和47年(1972)12月9日 唐原神籠石 とうばる 築上郡上毛町下唐原 平成17年(2005)3月2日 阿志岐城 あしき 筑紫野市阿志岐 平成11年(1999)

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冷水峠(ひやみずとうげ)
長崎街道の「冷水峠」は、現在の国道200号線よりさらに登った場所にあり、九州の箱根といわれ、2里20町(約10キロ)の天険は長崎街道最大の難所でした。 黒田節の主人公母里太兵衛が黒田長政の命を受け、内野太郎左衛門の協力によって内野宿と冷水峠の開削を慶長年間に行ったと福岡藩記録に残されています。 江戸時代には参勤交代やオランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来など交通が頻繁に行われていました。シーボルト、吉田松陰、伊能忠敬など、幾多の人々や、将軍徳川吉宗への献上象などもこの峠を通ったとされており、歴史を感じる事のできる場所です。 筑紫野市山家から冷水峠を越えて内野に至る区間は、「平成8年文化庁の歴史の道百選」に選定されました。 【アクセス】 ・大分自動車道 筑後小郡ICより 約25分 ・九州自動車道 鳥栖JCより 約30分 ・九州自動車道 福岡ICより 約50分 ・JR筑豊本線 筑前内野駅より 徒歩約30分(内野荒田の入口まで) ■冷水峠遊歩道入口 ◆冷水峠遊歩道入口 山家宿側 国道200号線沿い、筑紫野市の標識近くに大根地神社の鳥居と看板があります。 階段を上ると旧長崎街道にでます。 九州自然歩道にもなっており、長崎街道冷水峠・内野宿方面へ進んで行きます。 この辺りは軽自動車が通れる道幅がありますが、内野宿側の峠には雨の日でも滑らないように石が敷き詰められており、徒歩のみ通行できます。 ◆冷水峠遊歩道入口 内野宿側 国道200号線沿い、内野荒田の鳥居から冷水峠頂上まで徒歩で約50分。 その途中に「冷水トンネル」「首無し地蔵」と「石橋」があります。 内野から入り、麓の集落と田畑を過ぎると道の勾配は段々ときつくなります。 森に入り始めるころ、足元に石畳の舗装が散見されるようになります。 ※国道200号線沿いは歩道がないため、車には十分にご注意ください。 ■大根地神社登り口鳥居/郡境石 ◆大根地神社鳥居 冷水峠の頂上に大根地神社鳥居があります。 長崎街道に面し、大根地神社参道入口として建てられたもので、鳥居の手前に 「大根地宮十四丁」及び「正一位稲荷別格大々祀式鎮座」の石標柱が建っています。 ◆郡境石 郡境を明確にするために、冷水峠に建てられた穂波郡と御笠郡の郡境石。 鳥居の建っている側に「御笠郡々境石」道路向側に「筑穂郡々境石」が建っています。 ※鳥居の前の広場には、休憩するための茶屋があったそうです。 ■民話 首なし地蔵/冷水峠の由来 ◆民話 首なし地蔵 昔、悪者がこの峠で旅人を殺害した。悪者はこのことを道ばたのお地蔵様に向かい、 誰にも言うなという。お地蔵様は「ワシは言わぬがわれ言うな」という。悪者は驚い てお地蔵様の首を叩き落として行方をくらました。 その後何年かして二人の旅人がここを通りかかる。谷川の水で喉をうるおし、お地蔵 様を拝すると首がないのに一人は驚くが、もう一人の男はあの悪者であった。 「ワシは言わぬがわれ言うな」のお地蔵さまの言葉を忘れて、その首のないわけにつ いて、何年前かの自分の仕業を自慢げに白状した。話を聞いた男は、前にここで殺さ れた旅人の血縁であったので、仇打ちが行われた。 ◆冷水峠の由来 首無し地蔵堂の前。雑木林と杉木立の中を流れる清流に古い石橋が架けられています。 橋は2枚の花崗岩の板石を両端の石垣のみで支持する板石橋の形式を採ります。 下流側の板石側面に文政六年(1823)の銘が刻まれています。 当時、多くの旅人がこの場所で足を休めたと言われ、冷水峠の名の由来はこの川の 清流に由来すると言われています。 ■散策マップ 詳しくは「長崎街道歩こうマップ」トップページよりご覧いただけます。

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