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「大浦荘」は筑豊御三家のひとつに数えられた麻生家の初代、太吉の長男、太右衛門の住宅として建築された麻生一族の住宅のひとつです。大正末期に建てられたといわれており、数寄を凝らした和風入母屋書院造りが美しい邸宅です。現在は麻生グループの迎賓館として利用されています。
普段は非公開となっていますが、麻生家の持つ文化財を通じて明治・大正期の代表的な大邸宅の建築に触れる機会を設け、地元との交流をより深めたいと紅葉のシーズンに一般公開されています。
邸宅から眺める風景は、芝生を貼り巡らせた庭園に赤や黄色に色づいた木々が美しく映え、麻生家の歴史と伝統を感じさせます。この日本庭園を見たいと、毎年遠方からもたくさんの観光客が訪れています。

(ご注意)特別公開の期間以外は見学できません。
■□■ 麻生大浦荘 紅葉特別公開のご案内 ■□■
【期間】 2021年11月23日(火・祝)~11月30日(火)
【時間】 9:30~17:00(入場16:30まで)
【料金】 無料
【アクセス】
 西鉄バス「笠松陸橋」バス停より徒歩約3分
 JR福北ゆたか線「新飯塚駅」東口より徒歩約10分
【駐車場】 一般駐車場なし(お近くの有料駐車場をご利用ください)
      障がい者等用駐車場あり(台数に限りあり)
※大型バスは飯塚市歴史資料館で乗降、飯塚オートレース場で待機予定です。
※邸内のお手洗いは利用できません。近隣に設置しております仮設トイレをご利用ください。
※雨天時は庭園立入禁止になります。

■□■ 新型コロナウィルスに伴う開催の中止の可能性について ■□■
社会情勢を加味しお客様の安全なご参加が難しいと判断した場合には、直前に急きょ開催中止にする可能性がありますことをご了承ください。

■新型コロナウイルス感染症拡大防止のためのご来館の皆様へのお願い
・発熱や風邪の症状がある方、体調の悪い方は入館できません。
・マスクの着用と手指の消毒を必ずお願いします。(消毒液は入り口付近にあります。)
・検温にご協力ください。
・入館者名簿への記入をお願いします。
・密着・密集せずに十分な間隔をあけてご見学ください。
・大声や近い距離での会話は控えてください。
・入館制限を行っています。(状況によりお待ちいただく場合があります。)
・ご協力いただけない場合は入館をお断りすることがあります。

■複数名でお越しのお客様へのお願い
・新型コロナウイルス対策のため入館時に入館者名簿の提出をお願いしております。
・事前に入館者名簿のご準備(氏名・住所・電話番号)をいただけますとスムーズに入館できます。
・ご準備くださった入館者名簿は受付へお渡しください。

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名称麻生大浦荘(あそうおおうらそう)
住所福岡県飯塚市立岩1060番地
アクセスJR福北ゆたか線「新飯塚駅」東口より徒歩約10分
HPhttps://www.aso-group.jp/history/achievement_28.html

33.64489164

130.6993246

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麻生大浦荘(あそうおおうらそう)

福岡県飯塚市立岩1060番地

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柳原白蓮 歌碑(やなぎはらびゃくれん かひ)
柳原白蓮歌碑 「筑紫の女王」とも呼ばれ、飯塚に縁のある歌人柳原白蓮の歌碑が旧伊藤伝右衛門邸近くと嘉穂劇場近く、飯塚商工会議所近くの遠賀川河川敷、北九州に向かって左岸に計3基建立されています。 ■歌碑概略 ■嘉穂劇場側の歌碑概略■ 師の君の 来ますむかふと 八木山の 峠の若葉 さみどりのして 解説 早春の頃に自分の師が遠い九州の地に来て頂く折に博多駅へ出迎えに行く途中、八木山は新緑に萌え、若葉に自分の心境をだぶらせ、清清しい気分で峠を越え師との再会に心も弾んでいた気持ちを表した歌です。 ■飯塚商工会議所側の歌碑概略■ 遠賀川 小暗き中に 銀色の 光りは長く 夜は明け染めぬ 解説 遠賀川は、うす暗い中にも川面は銀色に輝き、夜が明けていく風情を詠った歌です。 ■旧伊藤伝右衛門邸側の歌碑概略■ おもひきや 月も流転の かげぞかし わがこしかたに 何をなげかむ 解説 晩年にわが身をふりかえり月の満ち欠けと自分の一生を思い合わせて「わがこしかたに何をなげかむ」と強く生きる覚悟を表した歌です。 ■『踏絵』 白蓮著 『踏繪』は柳原白蓮が最初に出した歌集で、若き白連の告白的短歌の結晶といわれ、大正4年3月に竹柏会より出版されました。「白連は藤原の女なり。」で始まる序章は佐佐木信綱、装丁は竹下夢二による物です。浪漫的であでやかな作風、夢と悩みと憂愁と沈思のこもった300余首が綴られています。 『踏絵』には、夫の愛情を感じられない暮らしから生じた悲痛なまでの孤独や、鮮烈な言葉で恋心を詠んだ火のような歌が数多く詠まれています。白蓮は、その処女歌集により歌詠みとしての名声を手にしました。 その後、戯曲『指鬘外道』を通じて宮崎龍介と運命的な出会いを果たします。事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。 『踏繪』は旧伊藤伝右衛門邸内「ミュージアムショップ白蓮」、飯塚観光ネットショップにて販売しています。 ■白蓮の生涯 絵葉書 柳原白蓮 柳原伯爵の家系で愛育された白蓮は、14歳で子爵北小路家に嫁ぐも5年後に離婚。その後27歳のとき、一代で巨万の富を築いた立志伝中の炭鉱王、伊藤伝右衛門と再婚し筑豊の地へ嫁ぎました。大正天皇の従妹にあたる白蓮を迎えた伝右衛門は、豪奢な住まいを用意し、歌集の出版を後押しし、金銭的に何不自由ない暮らしを与えました。しかし、白蓮は伝右衛門の愛情を感じることができず孤独に懊悩し、その苦しみを歌に託すことを生きがいとします。大正7年、白蓮が記した戯曲を通じて知り合った7歳年下の宮崎龍介と出会い、700通のラブレターを交わすほど熱烈な恋に落ち、大正10年に事件を起こします。  「・・・私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます。・・・」という内容の伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開して駆け落ち。姦通罪がある時代に白蓮が起こしたこの行為は、当時大きな波紋を巻き起こし白蓮事件と呼ばれました。 事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。

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