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「綱分(つなわき)八幡宮」の創建は、神亀2年(725)と伝えられています。
宇美町「宇美八幡」、福岡市「筥崎宮」、飯塚市「大分八幡」、大分県宇佐市「宇佐神宮」と並ぶ由緒深い神社の一つです。

御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后です。神功皇后は、三韓出兵からの帰途、現在の宇美町で応神天皇を出産されたと言われています。そして皇后は、豊前宇佐を目指す道の途中、金石山のふもとの金丸村(今の綱分付近)でお休みになられました。その時に、安産のおまじないとして産綱を分けてお祀りした事から、その土地を「綱分」と呼び、「綱分八幡宮」と名付けられたとされます。

2年に一度、10月第3土・日には福岡県指定無形民俗文化財となっている放生会御神幸祭が行われています。神楽や獅子舞、流鏑馬などが行われ、多くの参拝者で賑わいます。

御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
祭礼日:10月第2土曜日
境内社:貴船社、若宮、天満宮、須賀宮
由 緒:往古神功皇后、新羅より帰らせ給い、その年12月14日、粕屋郡蚊田(現、宇美)村にて誉田皇子(応神天皇)を生まし給ふ。
 明年辛巳歳春2月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田村より大口の峠を越させ給い、穂波郡に出させ給う。それより嘉麻郡にうつらせ給い、金石山の麓金丸村(現綱分)の清地に御輿をとどめさせ給ひ、皇后勅曰く、「吾この度三韓を隨え筑紫をおさむ、猶又婦女のただならぬ、身につつがなく皇子やすらかに生させ給う事偏に神の力なり。然れば此所に於て天神地祇を祭り報賽の幣帛を奉らん。」と則武内宿禰に命じて神祇を祭らせ給う。この時神霊となりし三振の宝剣その他種々の神宝又蚊田村にて、安産のまじないなればとて、槐の枝にかけ給ひし御産の綱を分て、この斎場に納めさせ給う(よって綱分の号ここに起こる)。
 かくて皇后群郷及百寮をひきいて京に帰り上らせ給う。それより御代々を経ぎ人皇45代聖武天皇神亀年中に至りて、郷人いにしへよりの伝説にもとずき八幡宮を祝い奉らんと宮所を定め、その地を改めしに三つの瓶を掘らせり。内に三振の宝剣(皇后神祇を祭らせ給いし時神霊となりし宝剣)あり、則八幡宮三所(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)の御神体として、初めて祝い祭り奉る綱分八幡宮是なり。

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名称綱分八幡宮(つなわきはちまんぐう)
住所福岡県飯塚市綱分866-1
電話番号0948-82-2069

33.63594355

130.7322265

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130.7322265

0948-82-2069

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綱分八幡宮(つなわきはちまんぐう)

福岡県飯塚市綱分866-1

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柳原白蓮 歌碑(やなぎはらびゃくれん かひ)
柳原白蓮歌碑 「筑紫の女王」とも呼ばれ、飯塚に縁のある歌人柳原白蓮の歌碑が旧伊藤伝右衛門邸近くと嘉穂劇場近く、飯塚商工会議所近くの遠賀川河川敷、北九州に向かって左岸に計3基建立されています。 ■歌碑概略 ■嘉穂劇場側の歌碑概略■ 師の君の 来ますむかふと 八木山の 峠の若葉 さみどりのして 解説 早春の頃に自分の師が遠い九州の地に来て頂く折に博多駅へ出迎えに行く途中、八木山は新緑に萌え、若葉に自分の心境をだぶらせ、清清しい気分で峠を越え師との再会に心も弾んでいた気持ちを表した歌です。 ■飯塚商工会議所側の歌碑概略■ 遠賀川 小暗き中に 銀色の 光りは長く 夜は明け染めぬ 解説 遠賀川は、うす暗い中にも川面は銀色に輝き、夜が明けていく風情を詠った歌です。 ■旧伊藤伝右衛門邸側の歌碑概略■ おもひきや 月も流転の かげぞかし わがこしかたに 何をなげかむ 解説 晩年にわが身をふりかえり月の満ち欠けと自分の一生を思い合わせて「わがこしかたに何をなげかむ」と強く生きる覚悟を表した歌です。 ■『踏絵』 白蓮著 『踏繪』は柳原白蓮が最初に出した歌集で、若き白連の告白的短歌の結晶といわれ、大正4年3月に竹柏会より出版されました。「白連は藤原の女なり。」で始まる序章は佐佐木信綱、装丁は竹下夢二による物です。浪漫的であでやかな作風、夢と悩みと憂愁と沈思のこもった300余首が綴られています。 『踏絵』には、夫の愛情を感じられない暮らしから生じた悲痛なまでの孤独や、鮮烈な言葉で恋心を詠んだ火のような歌が数多く詠まれています。白蓮は、その処女歌集により歌詠みとしての名声を手にしました。 その後、戯曲『指鬘外道』を通じて宮崎龍介と運命的な出会いを果たします。事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。 『踏繪』は旧伊藤伝右衛門邸内「ミュージアムショップ白蓮」、飯塚観光ネットショップにて販売しています。 ■白蓮の生涯 絵葉書 柳原白蓮 柳原伯爵の家系で愛育された白蓮は、14歳で子爵北小路家に嫁ぐも5年後に離婚。その後27歳のとき、一代で巨万の富を築いた立志伝中の炭鉱王、伊藤伝右衛門と再婚し筑豊の地へ嫁ぎました。大正天皇の従妹にあたる白蓮を迎えた伝右衛門は、豪奢な住まいを用意し、歌集の出版を後押しし、金銭的に何不自由ない暮らしを与えました。しかし、白蓮は伝右衛門の愛情を感じることができず孤独に懊悩し、その苦しみを歌に託すことを生きがいとします。大正7年、白蓮が記した戯曲を通じて知り合った7歳年下の宮崎龍介と出会い、700通のラブレターを交わすほど熱烈な恋に落ち、大正10年に事件を起こします。  「・・・私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の決別を告げます。・・・」という内容の伝右衛門への絶縁状を新聞紙上に公開して駆け落ち。姦通罪がある時代に白蓮が起こしたこの行為は、当時大きな波紋を巻き起こし白蓮事件と呼ばれました。 事件後は結核を発症した龍介に寄り添いながら、筆一本で家計を支えます。 最愛の息子の戦死後は「慈母の会」をつくり平和運動に献身。82歳で龍介に看取られるまで幸せに暮らしたといわれています。

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